Saturday, February 2, 2013

第17世カルマパの教え - 2.仏法とは何か?


 およそ、仏法というものは、私たちの心や人格、そして生き方を変えるためのものです。

 私たちが自分自身をポジティブに変化させるためには、教えを受ける必要があります。私たちには深い教え、適切な教えが必要です。私たちはどのように修行すればよいか知らなくてはなりません。そのような教えは、真の導師から受けるものですが、真の導師を見つけるのは容易なことではありません。真の導師を見つけたと思っても、その後そうではないと気付くこともあります。

 導師には2種類あります。十分に、そして完全に修行しており、仏法の経験が豊富な導師は、本当に頼りになりますし、そのような師には帰依することができます。そしてその他にも、教えを受けることのできる導師はいます。仏法を理解する助けとなる師です。しかし、同じように本当に頼ることや、帰依をすることはできません。しかしながら、重要なのは、それでも仏法を教えてくれる先生を、見つけることはできるということです。これらの導師は、実際の人物です。

 しかし、全ての師が人物である必要はありません。時には、すべての現われが仏法となり得るのだとよく言われます。すべてが師となり得るのです。心の訓練の教えの中では、ネガティブな出来事さえも、私たちの師となり得るのだと書かれています。

 四季を見てみると、例えば一般的な見方から言って、今は冬で、服をもっと着なければならないとか、今は夏で暑いなどど感じます。冬は暖かさが消えてゆき、植物は葉を落とすものだと、皆さんは知っていますが、さらに深く見てゆくと、すべてのものが変わり続けていることが分かります。深く見つめてゆけば、季節によって示された無常を理解することができます。そのこと自体が教えなのです。

 気をつけて見てみると、様々な、鮮やかで生きた教えを、人生そのものの中に見出すことができます。言葉のみによって教えを聞く必要はありません。なぜならば、皆さんの周りにあるもの、皆さんに見えるものの中から、それを見出すことができるからです。

 仏法を学び、理解するための、多くの異なる方法があります。それは教えを聞くことに限られるわけではありません。

写真:第17世カルマパ(右)とその師匠である第12世タイ・シトゥ・リンポチェ(左)


Tuesday, May 17, 2011

第17世カルマパの教え - 1.仏法を生きる


1.仏法を生きる
一般的に言って、いかに仏法を修めるかという事と、人生をいかに適切に生きるかという事は、たいへん似通っています。
人生において、私たちは多くの疑いや迷いを持っており、人生の目的や意義などは、あまり明確ではありません。(人生における)正しい見解を持たず、明確な姿勢をもたなければ、心配事や考え事が多くなり、人生はあまりうまくゆきません。
同様に、仏法の修行もまたそうです。まず、私たちは(仏法を)はっきりと理解する必要があります。私たちは、その目的をはっきりと見据えなければなりません。その意義と見解、立場を理解すれば、修行はとても簡単になります。
もしも私たちが、修行に関してあまりに多くの概念を持ちすぎると、それは仏法の修行ではなくなってしまいます。それは宗教となり、ひとつのシステムとなっ てしまいます。そうなると、多くのことが出てきます。神、霊、善、悪、さまざまな教義など。しかし、本当の修行はそこにはありません。私たちが仏法を修め る過程において、やはり、見解や概念を持つものではあります。ただ、私たちが仏法を、実際に人生において生かそうとするとき、多くの哲学を知る必要などな いのです。理解できればそれはそれで良いことです。しかし、もし理解しなくても、それもまた良いことなのです。
 要は、生きとし生けるものの助けとなるため、努力しなければならない、ということです。それがなされた時、私たちは仏法を人生に生かしているのです。

Monday, May 3, 2010

ヒトデの物語 - すべての教師達に贈るメッセージ(Starfish an inspirational message for all teachers)

ヒトデの物語

ローレン・アイズレー

- 教師が諦めてはならないのはなぜか -

ある日、男が海岸を歩いていると、少年が何か拾ってはそっと海へ投げ込んでいるのを見かけた。

少年に近づくと、男は訊ねた。「何をしているのかね?」

少年は、「ヒトデを海に返しているんだよ。波が上がって潮が引いていってるから、海に投げ返してやらないとヒトデは死んでしまうんだ。」と答えた。

男は言った。「君、海岸は何マイルも何マイルもあって、何百ものヒトデがいるんだ。君がそんなことをしても、大して違いはないよ。」

少年は、男の話を礼儀正しく聞くと腰をかがめ、ヒトデをまた一つ拾って海に投げ込みました。

そして男に向かって笑顔で言いました。「いま拾ったやつにとっては大きな違いだろうね。」

教室の中の生徒はみな、このヒトデのようなものです。

たとえあなたが、大した事はできないと感じたとしても、決して諦めないで下さい。

あなたは、その中の誰かにとって、大きな違いを与えるかもしれません。

Saturday, February 20, 2010

オム・マニ・ペメ・フム

「ユンブ・ラガン」と呼ばれる宮殿を建てたチベットの王、ラ・トトリ・ニャンツェンは、「オム・マニ・ペメ・フム」というマントラを授かり、彼より5代後の王がそのマントラの意味を知るだろうという予言を受けました。

ソンツェン・ガンポ王が、そのラ・トトリ・ニャンツェンから5代後の王に当たります。ソンツェン・ガンポ王の真摯な努力により、「オム・マニ・ペメ・フム」の深遠な意味がチベット人たちの間に広められました。今日でも、チベットの人々の生活に浸透したこのマントラの多大な影響が窺がわれます。

オム・マニ・ペメ・フム は、観音菩薩のマントラです。チベット人たちは、オム・マニ・ペメ・フム のマントラを声に出して、または心の中で唱えることにより、多大な利益が自己および他者の全体にもたらされると信じています。私自身、このマントラの瞑想を修行した後、観音菩薩から多くの祝福を受けました。観音菩薩の祝福による、多くの素晴らしい経験の中のひとつをお話しましょう。

1985年に、あるリンポチェ(チベット仏教の高僧)が、私の故郷の町を訪れました。私は、前の晩に見た夢について、そのリンポチェに話しました。「私は、恐ろしい姿の一匹の緑色の龍が、私達の町にある湖に住んでいるという夢を見ました。はるか昔、この龍はもとは南シナ海にいたのです。ところが、この龍が南シナ海を通る多くの船を沈め、多くの人々を殺したため、観音菩薩はこの龍を退治して、この町の湖に封じ込めることにしました。」そこでリンポチェは、(この龍を鎮めるため)「龍神の宝壺」* を、この湖に安置することを提案しました。そして壺を安置するのは私がするべきだと言いました。私は、この湖‐バトゥ・パハットの町のメルデカ湖 (Merdeka Lake in Batu Pahat Town) ‐では、多くの人が溺れ死んでいるため、泳ぐのは危険だと知っていました。ですから私は、ゴムの浮き輪を持って行ったのです。

リンポチェは湖の傍で法会を行っていました。私は湖の方にナーガの壺を持って行き、湖の中程まで浮き輪を使って泳いで行きました。そして湖の底まで潜り、壺をそこに置きました。水面まで浮かび上がると、浮き輪は私から少し離れた所にありました。私が浮き輪に向かって泳いでいくと、浮き輪はさらに向うへ離れて行きます。私はそれを追って泳ぎ、掴もうとしましたが、できませんでした。しばらくすると、息が切れてきました。助けを呼ぼうとしましたが、叫ぶ力もありません。私は手足から力が抜けていくのを感じました。それはまるで、体から手足が離れていくような感じでした。私はゆっくりと沈んでいきました。私は意識を失いかけていました。私に何が起こったか誰も知らないため、助けに来る者はいませんでした。

私は思いました。「これで最後だ…。」そして何となく心の中で、「オム・マニ・ペメ・フム 」と唱えました。

すると突然、手足が真っ直ぐに伸び、私は水面に向かってロケットのように進んでいきました。そして丁度浮き輪のすぐ側に浮かび上がったのです!私は喘ぎながら浮き輪を掴みました。「ああ、助かった。」観音菩薩が奇跡を起こし、私を救ってくれたのです!


*龍神の宝壺とは、チベット仏教の高僧によって作られるもので、多くの宝石や貴金属、薬草その他の貴重な物質を中に含む。これを龍神の住処に安置すると、龍神はそれを宝物で一杯の宮殿とみなしてそこに住むことができる。龍神は宮殿の中で幸せに暮らし、他の生物に害を与えないようになる。また、龍神はこの宝壺を供養した者に富をもたらすという。

Thursday, October 15, 2009

9.雪の国チベットにおける仏教の始まり

二千年以上前、チベット人達は山間の小さな部落や村落で暮らしていました。その後、コンポという場所に町ができました。ここは「猿の鼻」という名でも知られており、チベットの南部にあたります。これがチベットで最初にできた町です。そしてチベットにはまだ王様がいませんでした。村長などがいただけです。

ある天気の良い日、山の上にとても変わった様子の人物が現れたという噂が、町に流れました。人々は、この変わった人物に会ってみようと山に集まりました。実はこの人物は、インドからやってきた王子だったのです。彼は、「リブ・タム・ビー」という名で知られる貴族の出身でした。彼らは特別な一族で、神々の種族と言われていました。

この王子は、祖国から追放されていたのです。各地をさまよい歩くうちに、たまたまその場所にたどり着いたのでした。王子はチベット語が喋れず、人々もまた王子の言葉を喋れません。しかしそれでも、人々は彼がたいへん特別な人物であることがわかりました。彼は王子でしたので、それらの人々よりも優れた風貌をしていました。人々は王子に、どこから来たのかと尋ねました。彼はチベット語が話せなかったので、ただ空を指さしました。そこで人々は彼が神々の世界から下りてきたのだと思いました。彼らは王子を神と見なして礼拝しました。そして彼らは玉座を作って王子を乗せ、肩の上に担いで「猿の鼻」に運びました。そして彼を王に任命しました。

その時からチベットでは君主制が確立しました。「ラ・トトリ・ニャンツェン」は26代目の王です。「ラ」とは神々という意味、「トトリ・ニャンツェン」が彼の名前です。彼は傑出した人物で、「ユンブ・ラガン」と呼ばれる、チベットで最初の宮殿を建てました。それは大変しっかりとした造りで、今でもチベットに建っています。

この宮殿は独特のデザインで建てられています。これには塔があり、その塔の上に王が座って考え事をするための場所がありました。ある晴れた日、王が手を組んで座っていると、自らの内に強烈な感覚が湧き起こってくるのを感じました。王は臣民のために何か有意義なことをしたいという、強い思いに駆られました。王は、良き王であるだけでは十分ではないことに気付きましたが、それがどういうことかは解りませんでした。その強烈な感覚を覚える内、突然、空から音と光が現れ、あらゆる種類の信じがたいほど素晴らしい、ちょっと魔法のようなことが、王の周囲で起こりました。王はじっと座って、不安げに待っていました。すると突然、輝く雲が現れ、王のいる方にゆっくり降りてきました。そして王は、すっかりその輝く雲に覆われてしまいました。王には全く何も見えませんでした。すると手の上に何か重い物が置かれるのを感じました。しばらくすると雲は消え、王は自分の宮殿の塔の上に座ったままでした。手の上には箱がのっていました。それは独特の様子をしていました。王はそれを開けました。そこにひとつの像と仏舎利塔、そして「オン・マニ・ペメ・フム」という真言の書かれた冊子を見ると、王はとても喜びました。そして声が聞こえてきました。その声は「将来、5代後の王が、これら箱の中の物すべての持つ意味を理解するだろう。」と王に言いました。王はその箱と中身を、最高の信心を持って大切にしまっておきました。これがチベット人と観音様-すべての仏や菩薩の親愛と慈悲の化身-との最初の縁でした。この出来事は世界への、特にチベットへの観音様の顕現、祝福を示しています。

こうしてこの伝統は、吉兆の箱とその中の吉兆の品を受け取るという形で、ラ・トトリ・ニャンツェン王から始まりました。しかしその後、この王から5代後のソンツェン・ガンポという王が、チベットの歴史における王家の第1代目の王となりました。

チベット人はソンツェン・ガンポ王を、観音菩薩の化身とみなしています。その頃には、ソンツェン・ガンポ王は自分の曾曾祖父が観音菩薩の化身から受け取った物の価値について理解していました。この継承物について完全に調べ、理解するため、王は深遠な仏陀の教えをインドからチベットへ伝えるために尽力しました。彼は偉大な王で、たった13歳のときにチベットの王となりました。彼は大変若いのにもかかわらず、チベット全土を制圧しました。それ以前は、チベットには沢山の小国がありました、その殆どは山賊で、野蛮人のように暮らしていました。そして彼は、それらの小国を制圧して連合王国のようなものに纏めました。

その後ソンツェン・ガンポ王は、中国やネパール、インドなど全ての隣国から、多くの深遠な教えを招来しました。そしてこの王が中国とネパールの両方の王女を后として迎えると、チベットにおける仏教が大いに栄えることになりました。この二人の后達は、それぞれたいへん貴重なものをチベットに持ってきたのです。それはネパールからの仏像一体と、中国からの仏像が一体です。これら二体の仏像は、今日に至るまでチベット仏教にとって最も貴重な物の一つです。仏像の他にも、王妃たちは仏陀の教えの経典類を沢山持ってきました。中国から来た文成公主が招来した仏像は、今でもチベット人に篤く崇拝されています。それはラサの大昭寺に安置されています。

ソンツェン・ガンポ王は仏陀の教えから、臣民の苦の原因について学びました。王は、彼らは五毒を持つことによって苦しむということが分かりました。五毒とは、欲、怒り、無明、嫉妬、そして慢心です。これらの毒をより多く持つ者ほど、より多く苦しむでしょう。五毒が少ない者ほど、苦しみは少ないでしょう。幸福をもたらすのは、健康でも、富でも名声でもありません。幸福とは、私たちの本質を理解する洞察力、または知恵からもたらされるのです。こうして王は、すべての苦しみの元は五毒-「吝嗇」(けちであること)をあわせて六番目の毒とする-または私たちの心の汚れであると理解しました。


王はまた、「オン・マニ・ペメ・フム」の意味についても学びました。この真言は六毒の障碍(しょうがい)を鎮めるためのものです。それには6つの種字があり、それらの種字は慈愛と慈悲を基礎とする、6つの特性を育む助けとなるものです。王は観音菩薩の真言である「オン・マニ・ペメ・フム」をチベット中に広めました。

世界の屋根、チベットから、普遍的平和を築くために、ソンツェン・ガンポ王は仏陀の教えと古代中国の偉大な知識である風水を組み合わせ、ブータンから成都までに亘って、108の仏舎利塔をを建て、また、12の主要な寺院と13番目の特別な寺院を建てました。これらの仏舎利塔と寺院は、チベットからブータン、そして成都に至るまでの範囲の中、それぞれ特別な位置に建てられました。それらの位置を上空から見ると、人間が仰向けに寝ているような形をしています。それらの寺院と仏舎利塔は、この人間の形の上で、それぞれ特定の場所に建てられています。王は特に中心となる寺院を、ラサのミルキー・レイクという湖の上に建てました。それは白い湖で、とても珍しいものでしたが、すっかり土で覆われてしまいました。王はこの中央寺院を、仏法をチベットに伝えたすべての師たちに対する感謝の意を込めて、また、チベットに素晴らしい仏像をもたらした、二人の后に対する感謝の意も込めて、建造しました。この寺院は「ラサ・トゥル・ナム」として知られています。それは今でも見ることができます。こうして、それは普遍的平和-特に人間にとっての-を築く、始めの象徴的活動として、世界の屋根の上に確立されました。

その時から、チベット国内では仏法が強固に確立されました。その後6世代経った後、ティソン・デツェンがチベットの王になりました。彼もまた偉大な王でした。この王はグル・パドマサンババをチベットに招きました。グル・パドマサンババはインドの大成就者で、チベット人には第二の仏陀として知られています。(チベット仏教の修行者の間では、グル・リンポチェとして崇められています。)グル・リンポチェの呪術的な力に助けられ、ティソン・デツェン王は最初の仏教僧院である「サムイェ・リン」を完成することができました。それは今日まで残っています。サムイェ・リンは聖地として巡礼されています。

ティソン・デツェン王の支援により、仏教のすべての教義、小乗、大乗、金剛乗の教えが純粋に、インドからチベットもたらされました。これらの教えは次第に8つの法脈に分かれていきました。それらは:1)ニンマ、2)カダム、3)ラムデイ、4)マルパカギュ、5)シャンパカギュ、6)チチェー、7)ドルジェスムジン、8)アンダップ です。現在、5つの法脈が残っています:1)ニンマはニンマ派、2)カダムは、古カダム派と、新カダム派に分かれました。新カダムはゲルク派として知られています。3)ラムデイはサキャ派、4)マルパ・カギュ派は、カルマカギュが所属する派です。5番目の法脈はシャンパ・カギュ派です。この法脈の継承者は、カル・リンポチェです。これらがチベット佛教(金剛乗)の現存する5つの法脈です。その他3つの法脈は、独立した法脈とはならずに、これら5つの中に吸収されていきました。このようにして、チベット仏教は今の時代に適応し、存続しています。これがチベット仏教の歴史の概略です。

Sunday, May 17, 2009

8. カルマパ

ここで、このブログの6番目の記事でも言及した、カルマパについて紹介します。カルマパは、私たちが教えを受けているチベット仏教カルマカギュ派の教主です。

チベット人はグルリンポチェを、釈迦牟尼佛の後の第二の仏陀と見做しています。そして彼らはカルマパを、グルリンポチェの化身であると信じています。チベット人はまた、カルマパを観音菩薩の化身の一人でもあると見做しています。カルマパの出現は、釈迦牟尼佛によってSamadhiraja 経典の中で次のように予言されています:

わたしが入滅してから二千年後、
教えは赤い顔の者の土地へ広まるだろう。
彼らは観音菩薩の弟子;
カルマパとして知られるSimhanada菩薩が現れる。
サマディを習熟し、彼は衆生を治めるだろう。
そして、見ること、聞くこと、思い出すこと、および触れることによって、彼らを祝福する。
Lankavatara 経典のもう一つの予言では次のように予言されています:

僧衣と黒い冠を着けて、
彼は絶えず衆生を利益する。
一千佛の教えが消え去るまで。

カルマパは、比類ない人物です。彼は、チベット仏教におけるトゥルク(転生ラマ)制度の創始者です。第一世カルマパ、ドゥスム・キェンパは、自分の生まれ変わりについて予言した手紙を残しました。第二世カルマパ、カルマパクシはその手紙の記述に基づいて発見されました。カルマパクシは中国の明の皇帝に招かれて、中国へ行きました。宮殿に滞在した最初の21日間の間、カルマパクシは21の奇跡を起こしました。そして中国の皇帝は、カルマパクシの弟子になりました。その時から、その後の世代のカルマパもみな続けて明の皇帝のグルになっています。

第十六世カルマパは偉大な菩薩でした。彼は口伝の教えを、主に自分の根本グルである第十一世タイ・シトゥリンポチェから受けました。第十六世カルマパは布教活動を広く行いました。ヨーロッパや北アメリカでは、ただカルマパを一目見ただけで仏教徒になった人々が大勢います。このようにして、ヨーロッパや北アメリカではチベット仏教が栄えていきました。多くの仏教センターが世界中で、きのこが生えるようにどんどん出来ていったのです。第十六世カルマパはたいへん多くの人々に影響を与えました。私の人生も、第十六世カルマパのもとで帰依をしてから、ずっと良くなりました。

第十六世カルマパは、多くの素晴らしい奇跡をのこしながら、合衆国で亡くなりました。その入滅の数年まえに、第十六世カルマパは、自分の最も親しい弟子である第十二世タイ・シトゥリンポチェに、手紙を渡しました。第十二世タイ・シトゥリンポチェは、後に、現在の第十七世カルマパの根本グルとなっています。その手紙には、カルマパの生まれ変わりについて、両親の名前、生まれる年、出生地、また、生まれる時に起こるしるしなどの詳細が書かれていました。こうして、第十七世カルマパは、難なく見つけることができたのです。

第十七世カルマパ、ウギェン・ティンレイ・ドルジェは、1985年6月にチベットのカム地方の遊牧民の家族の間に生まれました。彼が生まれるとき、近所の人々はどこからともなく響いてくるほら貝の音を聞きました。それは約2時間にわたって、そこいらじゅうに響き渡りました。 この出来事は、上で言及した第十六世カルマパの手紙に予言されていたのです。不思議な音と共に生まれたこの遊牧民の赤ちゃんは、アポ・ガガと名付けられました。彼が6歳になった時、手紙の予言に従って第十七世カルマパを探していた捜索隊が、彼のところにやって来ました。

第十七世カルマパは、1992年9月27日に、中国共産党中央委員会の認証書とともに、チベットのツルプ寺で即位しました。中国共産党政府が転生ラマを認めたのはこれが初めてでした。カルマパについてより詳しく知りたい人は、このリンクへどうぞ:http://www.kagyuoffice.org/

Wednesday, May 13, 2009

7. 慈悲を育む - 功徳を積むためのひとつの方法 

「福」を呼ぶ(功徳を積む)ためのひとつの方法は、慈悲を持ちながら身体、言葉、心によって、善い行いをすることです。慈悲によって行われた行為は、「福」を呼び、利己的な動機で行われた行為は、「福」を失う原因となります。したがって、もし私たちの行いが、人々を幸せにしよう、人々の苦を除こうという利他的な動機から来たものならば、それは「福」を呼ぶことになります。自己中心的な動機でなしに、そのような利他的な動機を自然に持つためには、私たち自身の中に、深い優しさと慈悲がなければなりません。優しさと慈悲を育むには、巧みな方法が必要です。

瞑想によって、優しさと慈悲を育むための方法がいくつかあります。


優しさと慈悲を育む瞑想

チベット仏教では、慈悲心を育てるための瞑想法が二つあります。ここでそのうちの一つを紹介しましょう。この方法は、今生の母親に対する慈悲心を基礎にしています。自分の母親の偉大な優しさとその苦しみについて考え、母に対する慈悲の心を生じさせます。そしてその慈悲心を、他の衆生に対しても広げるのです。

仏陀は、輪廻転生は始まりも終わりもないと説きました。全ての衆生は数え切れないほど輪廻転生を繰り返しているのです。したがって、すべての衆生の其々は、過去生のどこかで自分の母親だったことがあるはずです。ですから、私たちは全ての衆生を自分の母であると考えてみるのです。そして、今生の母への慈悲を用いて、母である衆生に対する慈悲心を育むのです。


瞑想法

最初に、仏法僧に3回帰依し、四無量心*を発します。

そして、自分の母親を目の前に観想します。
自分はまだ胎児で、彼女のおなかの中にいると想像します。

妊娠中の母の苦しみと、おなかの中の自分を母がいたわってくれた事について考えます:
母の体は重くて心地が悪く、さまざまな痛みを感じる。  
おなかの中のあなたを守るために、転んだり何かにぶつかったりしないよう、ゆっくり歩いたり動き回ったりする。

あなたを出産するときは大変な痛みに耐えなければならない。
あなたが生まれたあとは、日夜あなたの世話をする。
あなたを腕に抱いて、風呂に入れ、乳をやる、等…。
あなたが病気になると、一晩中あなたの面倒を見る。

あなたのお母さんは、あなたを大切に育て、危険から守り、いろいろなことを教える。お母さんは、人生の多くの時間をあなたの世話をすることに費やした。

そして今、あなたは幸運にも仏法を聞くことができ、それはあなたを輪廻の苦しみから解放することができる。しかし、あなたのお母さんは、いまだに輪廻の苦しみの中にいる。お母さんは亡くなったら、宿業の風に吹かれ、どこに生まれ変わるかも定かではない。

このように考えたあと、母に対する慈悲を感じたら、母のために次のように祈ります;
「お母さんが、いつも幸せで穏やかでいますように。」

全ての衆生はいつかどこかであなたの母親だったのですから、他の人々に対しても、同じように祈ります。あなたに近い者から赤の他人まで、また、あなたの敵に対してさえも。そしてすべてのほかの生き物まで含めます。

例えば;
「お父さんが、いつも幸せで穏やかでいますように。」
「お兄さん/お姉さん/弟/妹が、いつも幸せで穏やかでいますように。」
「親戚の人々が、いつも幸せで穏やかでいますように。」
「私の友達が、いつも幸せで穏やかでいますように。」
「私の敵が、いつも幸せで穏やかでいますように。」
「この町の人々が、いつも幸せで穏やかでいますように。」
「この国の全ての生き物が、いつも幸せで穏やかでいますように。」
「世界中の生き物が、いつも幸せで穏やかでいますように。」
「この宇宙のすべての衆生が、いつも幸せで穏やかでいますように。」

そして、すべての衆生に対する博愛的な慈悲の心を持った状態をしばらく保ちます。その後、次のように心に思うことで、功徳をすべての衆生の解脱のために回向します:「この功徳を全ての衆生の成仏のために回向します。」このように、真摯な気持ちで回向します。

*四無量心:(Wikipediaによる解説)