Wednesday, November 26, 2008

4. 誠実さの重要性

前の記事で、「福」あるいは功徳を得るための正しい方法について述べました。ではここで、「功徳を積む」または「福」(ポジティブな力の要素)を増やすとされる行為が、どのように可能であるか分析してみましょう。

たとえば、私たちは仏像を買って開眼供養すると、仏壇に納めます。そして生花や灯明、果物などをお供えします。このような行為が、私たちに「福」をもたらします。私たちが食物やその他の物を僧伽の一員(僧侶)に供養すると、その行為の結果は功徳として帰ってきます。経典印刷の布施を行ったり、その手伝いをすることは、功徳を積む行為です。しかし、上述したような行為は「福」を買おうとする行為と同じものなのでしょうか?そのように考える人々もいるでしょう。どちらの場合もお金がかかるからです。私たちは「福」を呼ぶためにそれを行うのです。

しかしながら、功徳や「福」を得るためには、私たちは正しい動機をもち、誠実でなければなりません。私たちがお釈迦様に供養するとき、その行為自体がお釈迦様の教えや働き等に対する賞賛を表します。私たちはそのことを忘れてはなりません。私たちが僧や仏法のために布施をするときも、正しい動機で行うのです。こうすることにより私たちは、ポジティブな行為を通してポジティブな力を創造しているのです。お釈迦様を賞賛するというのは利他の行為を賞賛することであり、私たちに智慧を与え無明から救う教えを賞賛し、また他を利益するために仏のようになろうと発心することでもあります。したがって、そのような行為は自分自身のみのためではなく、すべての衆生を利益するという大きな意味があります。その結果、そのような行為は自他共に対して、より多くのポジティブな力の要素-「福」-を生み出します。これが開運グッズを買うこと-殆どの場合、自分自身のためにご利益を求める行為-との違いです。

仏教の修行において私たちは、積んだ功徳のすべてを衆生の悟りのために回向します。この行為は自他共に対して大変な利益をもたらします。功徳の回向は、丁度スプーン一杯の水を大海に注ぐようなものです。スプーンの上の水は数日で干上がってしまいますが、この水を海に注げば、いつまでも乾くことはないでしょう。

私たちがポジティブな行為を行うと、「福」を呼びます。三宝(仏、法、僧)に供養することは、ポジティブな行為です。それは上で示した通り、ポジティブな力を生みます。私たちのポジティブな力(「福」)が増えると、それは努力や技術、良いタイミングなどと組み合わさって、私たちに必要なものに形を変えます。私たちの望みを叶えさせるためには、多くの「福」が必要です。要するに、それで良い人生を送るという私たちの望みが叶うのです。

Monday, June 23, 2008

3.「福」は買えるか?


 昔の人々は、作物を得るには土に種を撒き、水をやらなければならないことを知っていました。人々はその種が芽を出し、大きく育って作物を実らせるまでの各過程で必要な世話をしました。人々は収穫期まで辛抱強く待ちました。ところが、社会が発展すると、私たちは少しせっかちになります。全てが速く、自動的に行われることを期待するようになってきます。私たちはスーパーマーケットで何でも手に入ることを望み、現金かクレジットカードをそこに持って行って生活必需品の全てを手に入れることを期待します。私たちの生活はとても便利で快適になりました。物やサービスが必要なら、買えば良いのです。買物、買物、買物!これが私たちの社会で必要なものを手に入れるやり方です。そしてそれは私たちの強い習慣となりました。私たちは何でも買えると思ってしまうのです。この購買と収集の習慣が、私たちの習性になってしまいました。我々人間は、以前ほど辛抱強くはなくなってしまったのです。

 それ故私たちは、「福」を扱うときも、それを買うことができると思ってしまいます。私たちのアジア社会では、日常生活の中でツイていない時、事業がうまく行かないとき、試験に合格できなかったとき、いい仕事が見つからないとき、結婚相手に恵まれないとき、昇進がうまくいかないとき、子宝に恵まれないとき等…私たちは「運」が足りないと考えます。ではこのような時、人々はどうするでしょう?殆どの人々は開運グッズを買いに行くのです!

 最近は多くの人がそのように行動します。あなたはパワーストーンのネックレスやブレスレットなどを買ったことはありませんか?または古銭をくわえた真鍮製のガマ蛙やヒスイの龍の置物など、お店やスーパーで売っているものはどうでしょう?アジアの中国系の人々の多くは、これらのアイテムが開運のパワーを持っていると信じています。彼らはこれらのアイテムが、その持ち主に「福」を呼びよせることができると信じているのです。あなたもそう思いますか?

  多くの人々は、「福」不足の状態を、頭痛を持っていることと同じように考えています。人々は頭痛のときは、アスピリンなどを服用して30分ほど待ち、頭痛が治まってくれることを期待します。いわゆる開運グッズを買ったり、保有したりすることで、悪い状況を乗り越えようとする人々がいますが、それは頭痛を治そうとしてアスピリンを飲むのに似ています。彼らはそういった物を身につけたり、仏壇や、或いは風水師に勧められた場所に置いたりします。最初のうちは、彼らは全てにおいて満足します。彼らはそれらのアイテムから、何か良いエネルギーを得ていると思うのです。しかし、しばらくすると、彼らの抱えている問題-経済的状況や何か-が、解決されず、または悪化したりすると、彼らは「もっと効き目のある」ものを手に入れようと考えるでしょう。こうして、彼らの「買い物」は続き、彼らの家は「開運グッズ」で埋め尽くされるのです!

 私のブログの、過去の2つの文章を読んだ人ならもう、お分かりでしょうが、「福不足」に効くアスピリンなどありません。私たちの殆どがそうであるように、「福不足」の状況に陥ったら、それを慢性病の治療をするように扱うことです。慢性病の治療には時間がかかります。医者にもらった薬は、規則正しく飲みます。もしも薬に副作用があるなら(殆どの薬がそうですが)、自然な生薬や漢方薬などを飲む必要があるかもしれません。食事には気をつけなければならないし、できれば毎日運動するべきでしょう。このようにして、ゆっくりと、しかし確実に、慢性病を完全に治すことができるかもしれません。私たちの体は長いこと、いくつかの栄養素が不足している状態で、コレステロールが溜まっており、汚染された空気を吸い、偏った食事をとってきたのです。アスピリンひとつで治るわけがありません。

 「福不足」の唯一の治療法は、持続的に功徳を積むことです。いつでも、どこでも、可能な限り、功徳を積むのです。それは繰り返し続けなければなりません。すべての機会を利用して、それを行うよう努力するべきです。丁度、毎日食事をとらなければならないように。今日を生きるためには、今日食べたものをエネルギーとして消費しなければなりません。「福」についても同じ事が言えます。私たちはそれを毎日使っています。つまり、私たちは毎日それを(消費することにより)失っているのです。ですから、単に生存していく為でさえ、私たちが消費した分の「福」を補うことが必要なのです!もしも、もっと素晴らしい事やより良いこと、何か特別なことを望むなら、または悪い状況を良い方向に変えることを望むなら、それを叶えるためには、更に多くの「福」が必要です。

  それでは、「福」を創造し得る行動の本質とは、実のところ何なのでしょうか?開運グッズを買う事と、功徳を積む事の間には、重要な違いがあるのです。次のブログに続きます。

Thursday, February 28, 2008

2. 良い人生をどうやって手に入れるか - 運?


 誰もが良い人生を求めています。しかし、私たちのうちのどれだけが、それを実際に手にしているでしょう?現在すでに60才を過ぎた人々は、自分に正直に尋ねてみましょう。自分が生きたいように生きることができたかどうか。 

 私たちの多くは、自分が望んだようには生きてこなかったでしょう。それは何故でしょうか?それには勿論、多くの理由があります。私は何年もかけてその答えを見出しました。多くの人々は、若いころもう少し運に恵まれていれば、彼らが望むような人生を生きることができたはずだと信じているのです。 

 「運」というものを、多くの人々が信じています。人々は、運が人生で大きな役割を演じていると信じています。勤勉であったり、正直であったり、立派な学歴を持ったりすること等の他に、望みを叶えるためには、さらに「運」というものが必要だと信じているのです。彼らは色々な例を引き合いに出します。自分の言い分を主張するのに、「マイ・フェア・レディ」に出てくる歌、「運が向いてきたぞ」を引用した人もいます! 

あなたはどう思いますか?「運」なんて本当にあるのでしょうか?あなたは「運」を信じますか?
 私はここで、旅行中に発見した幾つかの事柄、チベットやネパール、中国、インド、ヒマラヤ山脈地方、タイ、カンボジア、ミャンマー、インドネシア、シンガポール、マレーシア、ドイツ、そして日本などを旅行して気づいた事を、お伝えしたいと思います。私は、世界の異なる地域から来た、異なる社会的地位を持つ人々と出会ってきました。そのうち殆どの人が、「運がよい」と言うとき、その意味するところについて、本人も曖昧であるらしいということに、私は気づいたのです。一部の人々は、「運」とはただ偶然によるものだと信じています。日本人は「運」という言葉を、より明らかな表現で説明できると思います。

 英語で「Luck」と呼ぶものを、日本語では「運」と言いますが、よく、それに「気」をつけて、「運気」ということがあります。「気」とはエネルギーのことです。ある日本人から聞いた説明を挙げてみます。「運気が上がると、幸運や幸福を引き寄せることができ、運気が下がると、悪運を引き寄せる。」これは中国人が、ポジティブなエネルギーの要素である「福」が強いとき、暮らし向きは良く、全てが順調で、うまくいくと信じているのと似ています。殆どの日本人もそのように考えているようです。
 ですから私たちは、「福」や「運気」を向上させるような要因と状態を、作り出す必要があります。

 仏教徒は、私たちは過去の数え切れない前世のうちに、善業と悪業の両方の種子を撒いている、と信じています。もしも善業の種子が芽を出し、今生において豊かに実れば、良い人生を送ることができるのは疑いようもありません。しかし、もしも今生において私たちに「福」が足りなければ、いくつか障害が生じるでしょう。
 しかし、私たちはそれらの障害を取り除くことができます。それは祈りと功徳を積むことによって行われます。お釈迦様は私たちの「福」(功徳)を集めるための多くの方法を説いて下さいました。タイは仏教国です。彼らはお釈迦様の教えを真剣に受けとめ、いつでも、どこでも、できる限り「ターンブン」(功徳を積む)をしに行きます。 
 2月21日はタイ人にとって重要な日です。この日は万仏節として知られています。それは陰暦の1月15日で、満月の日です。この日はまた、タイ人と同じく中国人にとってもおめでたい日です。伝統的には、それは中国正月を祝う最後の日にあたるのです。

 万仏節は功徳を積む日です。その日の夜、タイの仏教徒はろうそくを持って寺や舎利塔(卒塔婆)の周りを回ります。(ここに、バンコクのプラ・スリ・マハタット寺院で撮った写真を掲載します。プラ・スリ・マハタット寺院は私が住む場所から徒歩で20分程の所にあります。)万仏節はタイの公休日です。タイ国中の何百万と言う仏教徒が、夕方には「ウィアン・ティアン」(ろうそくを持って回る)を行うために、寺に詣でます。これはタイ仏教において重要な行事の一つです。

 万仏節の夜、プラ・スリ・マハタット寺院では、7時頃にろうそくと線香と蓮の花を持った僧侶達が静かに歩きだし、その後に信徒たちが続きます。彼らは瞑想的に歩き、本堂と卒塔婆の周りを3回ずつ巡ります。そして僧侶達はそれぞれ、様々な目的のテント内に設けられた席に座ります。信徒たちは次々に彼らを礼拝し、布施を行います。(僧侶とは功徳の種を撒くための、良い土壌であると考えられています。僧侶達は、信徒達が功徳を積むための素晴らしい機会を与えているのです。)このとき、何人かの僧侶たちは説法を行います。寺の境内では、仏教の歴史や文化についての展示も行われます。
  
 今生において功徳を積むと、自分の過去世において撒いた功徳の種を、発芽させる助けになることがあります。今生におけるどの善行が、過去世において撒いた功徳の種を発芽させる助けになるのか、私たちには分かりません。ですから、様々な種類の善行を、できるだけ多く行いましょう。今生における善行はもうこれで十分、などという事はあり得ません。善行を行うためにお金を使ったり、努力をしたりするのは、優良株を買うのに似ています。将来必ず利益を上げます。

 功徳は正しい動機(即ち、慈悲や親愛の情)を伴う布施行を通して、積むことができます。このようにして積んだ功徳は確実に、過去に撒かれた功徳の種を、さらに発芽させるための助けとなります。豊富な功徳の種が芽を出すとき、私たちの望みが叶うのです。良い人生、素晴らしい人生が、確実に手に入ります。これを「運がいい」のだ、と考える人もいるでしょう。

結論として、「運」は偶然または出鱈目に起こることではありません。「運」が開けるかどうかは、それ自体の原因と条件(因と縁)次第です。私たちは功徳を積むことで、これらの原因と条件(因縁)の種を撒き、運を開くことができるのです。  


写真(上から):
1)万仏節にプラ・スリ・マハタット寺院の卒塔婆を巡る仏教徒達。
2)プラ・スリ・マハタット寺院で奉仕活動をする士官学校の生徒達。
3)寺院の外に暫定的に設けられたテント内の仏像に花を供える信者達。
4)卒塔婆の周りに下げられた提灯。
5)功徳を積む信者達。

Friday, February 15, 2008

1. 中国正月のメッセージ‐良い人生を送るために



恭喜発財!!!!!!!

中国正月おめでとうございます!
 阿毘達磨(仏陀の高度な教えを釈明している書)のなかで、お釈迦様は「生命はこの瞬間から次の瞬間へ、今生から次の生へとさまよう。」と仰ったと書かれています。私たちが一瞬ごとに、また、それぞれの生において、幸福を感じることができるのは、私たちの積んできた功徳のお陰です。

 私たちがこの地上で、現在のライフスタイルを生きることが可能なのも、私たちが積んできた功徳のお陰です。さまざまな国や社会は、その積んできた功徳がそれぞれ異なるため、異なるライフスタイルを持っています。功徳は、私たちの生涯のそれぞれの瞬間ごとに、ポジティブな行動により得ることができ、ネガティブな行動により失ったり損なわれたりします。

 この時期になると、中国系の人々のどの家に行っても、「福」の文字が飾られているのを目にします。古代中国の賢者たちはこれに関するある原理を、仏教が中国に伝えられる以前に発見しました。中国の賢者たちは長い間、「福」が私たちの人生と大変深く関わりあっているという事を強調してきたのです。「福」は、私たちが人生において手に入れたいと願う全ての物事に対して、関係があるということです。そして、その点について彼らが正しいということは、仏陀もまたこれについて説いていることから分かります。
 仏教では、功徳を積むということが重要視されます。これは中国の賢者たちの言う「福」とよく似た概念です。現代では、仏教徒たちは僧侶や尼僧、ラマ、リンポチェ(チベット仏教の高僧)たちにより、功徳を積むことが、仏法の修行を含めた彼らの幸福に対して重要であると、常に指摘されています。そのため、仏教の修行において、功徳を積むための多くの方法があるのです。

 タイでは、「福」を集めることを「ターンブン」と言います。タイ人は寺に詣でると、大変喜んで「ターンブン」を行います。彼らには毎月特別な日が4日あり、その日(ワンプラ ‐ 仏日)にタイの人々は「ターンブン」を行うために寺に集まります。彼らが「ターンブン」をしたあと大変満足するのは、「ターンブン」が彼らの生活をより良いものにすると信じているからです。それは「ターンブン」の行事を終えたあとの彼らの顔から察することができます。


 「福」は、私たちの心の動きの中で、ポジティブなエネルギーの要素として現れます。この要素は、適切な組み合わせと適切なタイミングにより、どんなものにも変換させることが可能です。チベット仏教では、このポジティブなエネルギーの要素を変換する巧みな方法が各種存在します。私たちの創造的なアイデアは、私たちの心の動きの中のこの要素から、湧き上がるのです。

 私たちは知らぬうちに自分の「福」を損なうこともあります。それは、私たちの日常生活の一瞬毎において、身体、言葉、心によるネガティブな行動によってなされます。 

 では、「福」を傷つけるようなネガティブな行動とは何でしょう?中国の賢者たちも仏陀もともに説くのは、「福」あるいは功徳は、一瞬毎に私たちの心の中で起こっている、嫉妬、怒り、憎しみ、慢心、吝嗇(けち)、抑制のない欲などのネガティブな感情により、損なわれるということです。しかし、これら全てのネガティブな感情は、仏陀の教えを修めることにより、それを正しいものに変えることができます。

 仏教では、精神開発の活動を重視しています。これは一般には瞑想として知られています。この方法によって私たちは、ネガティブな感情を少しずつ、しかし確実に弱めることのできるような、より健康な心を育むことができます。その結果、私たちの心の中にあるこの貴重なポジティブ・エネルギーの要素を損なうのを、避けることができるのです。

 殆どの人は、この「福」が足りないために、望みを叶えることができません。私たちのうちの殆どが、得た「福」よりも多くの「福」を失っているように思います。そのため、私たちの功徳(福)が足りないときは、目標に達する道の途上に障り(障害)が必ず生じ、望みを叶えることができないでしょう。

 私の考えでは、もし私たちがキャリアやビジネスにおける夢を叶えたいと思うなら、それぞれの「福」(功徳)を増やし、有効にする必要があります。そうすればこの「福」を、金銭的な形や豊かさに、または喜びと幸福、心の平安を得るための仏法の修行を障害なく行う機会などに、変換することができるでしょう。

 私たちは、いつでもどこでも、できる限り絶え間なく、「福」を増やしてゆくことによって、良い人生を送ることができるのです。 私たちは、何をするにも、何を得て、何を達成するにも、功徳(福)が必要なのです!

 次のメッセージでは、「福」を集める方法について書きましょう。 この新年のメッセージがあなたの役に立ちますように。

今後もどうぞ宜しくお願いします。

慧果法師



*写真(上):「福」の字逆さにする(倒す)ことで、「福倒了(福が逆さになった)」と、「福到了(福が来た)」をかけている。縁起が良いとして、新年に限らず華人が好んで家や店舗に飾る。
*写真(中2つ):中国のお年玉袋
*写真(下):プノンペンのホテル内レストランの壁面にディスプレイされた「福」。オーナーは中国系。