Monday, June 23, 2008

3.「福」は買えるか?


 昔の人々は、作物を得るには土に種を撒き、水をやらなければならないことを知っていました。人々はその種が芽を出し、大きく育って作物を実らせるまでの各過程で必要な世話をしました。人々は収穫期まで辛抱強く待ちました。ところが、社会が発展すると、私たちは少しせっかちになります。全てが速く、自動的に行われることを期待するようになってきます。私たちはスーパーマーケットで何でも手に入ることを望み、現金かクレジットカードをそこに持って行って生活必需品の全てを手に入れることを期待します。私たちの生活はとても便利で快適になりました。物やサービスが必要なら、買えば良いのです。買物、買物、買物!これが私たちの社会で必要なものを手に入れるやり方です。そしてそれは私たちの強い習慣となりました。私たちは何でも買えると思ってしまうのです。この購買と収集の習慣が、私たちの習性になってしまいました。我々人間は、以前ほど辛抱強くはなくなってしまったのです。

 それ故私たちは、「福」を扱うときも、それを買うことができると思ってしまいます。私たちのアジア社会では、日常生活の中でツイていない時、事業がうまく行かないとき、試験に合格できなかったとき、いい仕事が見つからないとき、結婚相手に恵まれないとき、昇進がうまくいかないとき、子宝に恵まれないとき等…私たちは「運」が足りないと考えます。ではこのような時、人々はどうするでしょう?殆どの人々は開運グッズを買いに行くのです!

 最近は多くの人がそのように行動します。あなたはパワーストーンのネックレスやブレスレットなどを買ったことはありませんか?または古銭をくわえた真鍮製のガマ蛙やヒスイの龍の置物など、お店やスーパーで売っているものはどうでしょう?アジアの中国系の人々の多くは、これらのアイテムが開運のパワーを持っていると信じています。彼らはこれらのアイテムが、その持ち主に「福」を呼びよせることができると信じているのです。あなたもそう思いますか?

  多くの人々は、「福」不足の状態を、頭痛を持っていることと同じように考えています。人々は頭痛のときは、アスピリンなどを服用して30分ほど待ち、頭痛が治まってくれることを期待します。いわゆる開運グッズを買ったり、保有したりすることで、悪い状況を乗り越えようとする人々がいますが、それは頭痛を治そうとしてアスピリンを飲むのに似ています。彼らはそういった物を身につけたり、仏壇や、或いは風水師に勧められた場所に置いたりします。最初のうちは、彼らは全てにおいて満足します。彼らはそれらのアイテムから、何か良いエネルギーを得ていると思うのです。しかし、しばらくすると、彼らの抱えている問題-経済的状況や何か-が、解決されず、または悪化したりすると、彼らは「もっと効き目のある」ものを手に入れようと考えるでしょう。こうして、彼らの「買い物」は続き、彼らの家は「開運グッズ」で埋め尽くされるのです!

 私のブログの、過去の2つの文章を読んだ人ならもう、お分かりでしょうが、「福不足」に効くアスピリンなどありません。私たちの殆どがそうであるように、「福不足」の状況に陥ったら、それを慢性病の治療をするように扱うことです。慢性病の治療には時間がかかります。医者にもらった薬は、規則正しく飲みます。もしも薬に副作用があるなら(殆どの薬がそうですが)、自然な生薬や漢方薬などを飲む必要があるかもしれません。食事には気をつけなければならないし、できれば毎日運動するべきでしょう。このようにして、ゆっくりと、しかし確実に、慢性病を完全に治すことができるかもしれません。私たちの体は長いこと、いくつかの栄養素が不足している状態で、コレステロールが溜まっており、汚染された空気を吸い、偏った食事をとってきたのです。アスピリンひとつで治るわけがありません。

 「福不足」の唯一の治療法は、持続的に功徳を積むことです。いつでも、どこでも、可能な限り、功徳を積むのです。それは繰り返し続けなければなりません。すべての機会を利用して、それを行うよう努力するべきです。丁度、毎日食事をとらなければならないように。今日を生きるためには、今日食べたものをエネルギーとして消費しなければなりません。「福」についても同じ事が言えます。私たちはそれを毎日使っています。つまり、私たちは毎日それを(消費することにより)失っているのです。ですから、単に生存していく為でさえ、私たちが消費した分の「福」を補うことが必要なのです!もしも、もっと素晴らしい事やより良いこと、何か特別なことを望むなら、または悪い状況を良い方向に変えることを望むなら、それを叶えるためには、更に多くの「福」が必要です。

  それでは、「福」を創造し得る行動の本質とは、実のところ何なのでしょうか?開運グッズを買う事と、功徳を積む事の間には、重要な違いがあるのです。次のブログに続きます。