1.仏法を生きる
一般的に言って、いかに仏法を修めるかという事と、人生をいかに適切に生きるかという事は、たいへん似通っています。
人生において、私たちは多くの疑いや迷いを持っており、人生の目的や意義などは、あまり明確ではありません。(人生における)正しい見解を持たず、明確な姿勢をもたなければ、心配事や考え事が多くなり、人生はあまりうまくゆきません。
同様に、仏法の修行もまたそうです。まず、私たちは(仏法を)はっきりと理解する必要があります。私たちは、その目的をはっきりと見据えなければなりません。その意義と見解、立場を理解すれば、修行はとても簡単になります。
もしも私たちが、修行に関してあまりに多くの概念を持ちすぎると、それは仏法の修行ではなくなってしまいます。それは宗教となり、ひとつのシステムとなっ てしまいます。そうなると、多くのことが出てきます。神、霊、善、悪、さまざまな教義など。しかし、本当の修行はそこにはありません。私たちが仏法を修め る過程において、やはり、見解や概念を持つものではあります。ただ、私たちが仏法を、実際に人生において生かそうとするとき、多くの哲学を知る必要などな いのです。理解できればそれはそれで良いことです。しかし、もし理解しなくても、それもまた良いことなのです。
要は、生きとし生けるものの助けとなるため、努力しなければならない、ということです。それがなされた時、私たちは仏法を人生に生かしているのです。
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